一隅を照らす。食文化の多様性の一端を担うこと 〜萬年屋六代目社長・今井誠一郎に聞く〜

ー 本日は、松本市で1832年(天保3年)創業の老舗味噌蔵「萬年屋」の六代目社長、今井誠一郎さんにお話を伺います。まずは、味噌屋を継ぐまでの経緯についてお聞かせください。
総領(長男)として生まれ、物心ついた時から「萬年屋の息子」という意識はありました。ただ、味噌屋を継ぐという自覚はあまりなく、他の選択肢も考えませんでした。父からは「やりたいことがあれば好きなことをやっていい」と言われていましたが、結局、自分自身で本当にやりたいことを見つけることができず、そのまま成り行きで家業に入ることになりました。
「鶴は千年、亀は萬年」という言葉から古いロゴには亀が採用されている
最初の10年くらいは、父と一緒にやっていたというよりも、父の他に職人さんが1人と、叔父と三人が製造を担当していたので、私はどちらかというと、店先、当時は駅ビルの中に店があったので、そちらでの接客や販売が主な仕事でしたね。あとは、時々工場での作業を手伝う、という程度でした。
歴史を感じさせる古いポスター
転機、そして芽生えた味噌への情熱
ー そこから、どのようにして本格的に味噌作りに関わるようになったのですか? そして、味噌作りに対する考え方や、原料へのこだわりなど、現在に至るまでの道のりをお聞かせください。
30歳ぐらいから、仕込みを含めた工場の仕事も本格的に取り組むようになりました。それ以前から、これからの味噌は、単なる日常的な食品ではなく、嗜好品としての側面が強くなっていくだろう、と考えるようになりました。そのためには、付加価値をつけていくことが不可欠だと。
同時に、食品のパッケージにも興味を持つようになり、色々なものを見て回りました。その中で、一番美しいと感じたのが、和菓子のパッケージだったんです。そこから、自分のところの味噌のパッケージも、もっと魅力的にできないか、と考えるようになりました。
和菓子を参考にデザインされた詰め合わせセット
原料についても、父の代までは輸入大豆や加工用の米を使っていましたが、私はそれを、国産、長野県産、そして最終的には松本産へと、徐々に切り替えていくことを決意しました。しかし、商社や問屋を通すと、どうしても「松本産」というところまでトレースすることが難しい。トレーサビリティの問題ですね。
そこで、地元の農業法人さんと取引を始めることにしました。その法人さんは、元々は別の作物作りからスタートした会社ですが、今では様々な農産物を手掛けています。しかし、ここ数年は、気候変動の影響や、鹿などの獣害によって、その法人さんからの原料の入荷が思うようにいかない状況が続いています。そのため、一時的に松本産での味噌作りを断念し、商社を通じて長野県産の大豆や米を仕入れる状況に戻さざるを得ませんでした。
大きな釜で蒸しあげた長野県産大豆
現在、別の農業法人とも交渉を始めています。将来的には、安定的に、そしてできるだけ地元産の原料を確保していくことが重要だと考えています。
野菜についても、漬物で使う大根やカブは「堅大根」、「松本本瓜」、「高山飛騨蕪」など地元で栽培された地産地消の固定種・在来種の野菜を使っています。しかし、地元の農家さんも高齢化が進み、後継者不足も深刻です。さらに、近年の温暖化の影響で、作柄が安定しない年が増えてきました。この状況を改善するためには、新たな仕入れ先を開拓していくしかありません。
整然と積まれた室ぶたの前にて
ー 原料の価格高騰も、経営に大きな影響を与えているのではないでしょうか。
はい、おっしゃる通りです。特に大手の味噌メーカーさんは、毎日大量の味噌を製造していますし、コストを抑えるために輸入原料を使っているところも多いですから、円安や燃料費の高騰も重なって、非常に厳しい状況だと思います。
萬年屋では、幸いなことに、付加価値を重視した商品展開をしているので、原料価格が多少上がったとしても、すぐに製品価格に転嫁しなければならない、という状況ではありません。しかし、今後のことを考えると、やはり安定的に、そしてできるだけ地元産の原料を確保していくことが重要だと考えています。
将来的には、オーガニックの味噌作りにも挑戦したいと考えています。今はまだ全く手をつけていない分野ですが、ここ十年で少なくとも全体の生産量の2割程度をオーガニックに切り替えたい。産地だけでなく、栽培方法にもこだわった素材を使うことで、より高品質で味わい深く、地球にも身体にも味噌をつくることを目指したいと考えています。
信州名物、野沢菜のお漬物。萬年屋でも主力商品のひとつ。
父の言葉、技を受け継ぎ、そして超えていく
ー 社長に就任されてから、萬年屋にとって大きな転機があったと伺いました。松本駅の駅ビルから大名町への移転、そしてご自身の変化について、詳しくお聞かせいただけますか?
49歳の時、父から突然「社長を変われ」と言われました。それまで、私はどちらかというと、のんびりとした性格で、日々の仕事も言われたことをこなす、という感じでした。しかし、社長になったことで、自分の人生、そして萬年屋の将来について、真剣に考えるようになりました。まさに、人生がガラリと変わった瞬間でしたね。
その翌年、駅ビルから現在の大名町に店を移転しました。これも、大きな転機でした。駅ビル時代は、最初は良い場所を確保できていたんですが、途中から駅ビル全体のコンセプトが変わり、当社の店は人通りの少ない場所に移されてしまいました。正直、最後の10年間は、売り上げも非常に厳しかったです。
50歳を超えてから、より充実していると語る今井さん
そんな状況の中、大名町への店舗移転を決断しました。幸い、町会での繋がりもあったことで、最終的に現在の場所を借りることができました。
大名町に店舗を移してからは、本当に色々なことが変わりました。まず、町会の人たちとの繋がりができたこと。そして、街づくりの活動にも参加するようになったことです。それまで、私は駅ビルの中で、同じフロアのテナントの人たちとしか話す機会がありませんでした。しかし、大名町では、様々な業種の方々と出会い、話をする機会が増えました。皆さん、それぞれの分野で活躍されている方ばかりで、非常に刺激を受けています。
昔から受け継がれる現役の漬物石
ー 先代で味噌玉造りを復活されたお父様から、味噌作りについて何か特別な教えはありましたか? また、萬年屋さんの特徴である「味噌玉造り」についても詳しく教えてください。
父は、人に教えるのがあまり得意なタイプではありませんでした。「仕事は見て覚えろ」という、昔ながらの職人気質の人でしたね。味噌や漬物の作り方も、体系的に教えられたことはほとんどありません。
ただ、味噌玉のレシピや、味噌玉造りの勘所については、父から受け継いだものがあります。例えば、桃の花の咲く頃に仕込みをすることだったり、味噌玉の泡の出方の良し悪しなどです。これらを受け継いだ上で、私の代では、それまで「辛口」「中辛」「甘口」という3種類の味噌玉しかなかったのですが、麹の割合を変えた新しい味噌玉を開発しました。さらに、味を良くしていくこと、味のブレをなくすこと、については誠心誠意取り組んでいることになります。
最終的には、15割麹の「極味」という味噌玉を作り上げました。
萬年屋の味噌玉造りは、手間暇かけた昔ながらの製法です。厳選した国産米(現在は長野県産米)で米麹を作り、煮た大豆、塩、種水と混ぜ合わせます。それを専用の機械で玉状に成形し、むしろの上に並べて約3週間、自然の力で熟成させます。この熟成期間中に、味噌玉独特の風味と旨みが生まれます。熟成後は、表面を丁寧に洗い落とし、乾燥させてようやく完成です。
味噌玉造りでは蒸した味噌を玉状にして約3週間熟成させる
ー 味噌玉作りは、現在では非常に珍しい製法ですよね。そして、味噌作りで最も大事にされていることは何ですか?
そうですね。手作業ですし、温度や湿度の管理も難しい。おそらく、昔はもっと多くの味噌蔵で味噌玉作りが行われていたと思いますが、現在では、当社のような零細企業でしか、なかなか続けられないかもしれません。
味噌作りにおいて、最も重要なことは、「数値化」することです。ここ5年ぐらいで、ようやくその重要性に気づきました。全ての工程を数値で把握する。そうすることで、原料の仕入れ量や、各種類の味噌の生産量を、正確に計算できるようになりました。
そして、味噌玉の出来が、その年の味噌の品質を大きく左右します。味噌玉を熟成させる3週間、この期間の温度と湿度の管理が非常に重要なんです。
職人の仕事に、100点満点はないと思っています。たまたま今年、100点満点の味噌ができたとしても、来年も同じようにできるとは限りません。特に、近年の気候変動の激しさを考えると、なおさらです。
味噌蔵の木造部分は旧陸軍のを食糧庫を移築したもの
創業二百年へ、繋ぐ思い
ー 今後の萬年屋の展望、そして息子さんへのバトンタッチについて、どのようにお考えですか?
まずは、私自身の健康ですね(笑)。健康でなければ、良い味噌は作れませんから。そして、息子がスムーズに家業を継げるように、仕事のノウハウをまとめたマニュアルを作成しています。
また、ここ数年で、古くなった機械の更新も進めてきました。これで、しばらくは安心して味噌作りに集中できる環境が整ったと思います。
経営面では、ネット販売の比率をさらに高めていきたいと考えています。現在、大名町のお店は、おかげさまで多くのお客様にご来店いただいていますが、将来的なリスクも考慮しなければなりません。ネット販売を強化することで、販路を拡大し、経営の安定化を図りたいと考えています。
息子には、まだ具体的に「継いでくれ」とは言っていませんが、彼も味噌作りには興味を持っているようですし、いずれは一緒に萬年屋を盛り立ててくれることを期待しています。
味噌蔵には心地よい風が流れている
ー 最後に、今井さんにとって、味噌とはどんな存在ですか?
そうですね…、難しい質問ですが、あえて言うなら、「多様性」を象徴する存在、でしょうか。現代社会では、大量生産、大量消費が当たり前になり、均一化されたものが求められる傾向にあります。しかし、味噌の世界は、本来、非常に多様性に富んでいます。地域によって、蔵によって、作り手によって、味も香りも全く違う。それが、味噌の魅力であり、日本の食文化の豊かさを表していると思います。
味噌の需要と供給のバランスだけを考えれば、正直なところ、当社のような小さな味噌蔵は、なくても困らないのかもしれません。しかし、どんなに小さくても、多様性の一部を担うことはできる。それが、私たち萬年屋の存在意義だと信じています。
そして、その多様性を未来に残していくために、今、私にできることは何か。最近考えているのは、味噌蔵の「種」を保存する仕組みを提案することです。それぞれの蔵に伝わる製法や、使われている麹菌、酵母などを、きちんと保存し、後世に伝えていく。それが、日本の食文化を守る上で、非常に重要なことではないかと思うんです。
ー おまけの質問ですが、好きな味噌の食べ方はありますか?
一番好きなのは、やはり味噌汁ですね。特に、豆腐の味噌汁が好きです。豆腐から出汁は出ませんが、その分、味噌そのものの味をしっかりと味わうことができます。シンプルですが、味噌の風味を最も楽しめる食べ方だと思いますね。当社の「味噌玉造り味噌」や「天然醸造味噌」を、その日の気分で合わせて作ると、格別の味わいです。
ー 素晴らしいお話、ありがとうございました。今後のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。
こちらこそ、ありがとうございました。
取材:播 -maku-(@maku_elaa)
写真:市橋正太郎(@ichihashishotaro_)